一杯どうですか
何を?
大まかに分けて二つだと思う。
酒か、茶か。
私は、どちらも好きだ。
だから大抵こう訊ねられたら快く応じてきたように思う。
酒の場合。
これは一杯と言いつつ、一杯では済まないことがほとんどだ。
しかし、一杯という言葉を使う所にジャパニーズワビサビを感じる。
万が一これが一杯で済んでしまった場合には相手との相性を顧みないといけないかもしれない。
一杯、どうですか?と人に尋ねる時、人は大抵ジェズチャーを交えて伝える。
ここで使われるジェスチャーで主流なものが二パターンあると私は考える。
一つは、お猪口を二本の指で支えて、口元で手前にくい、と一度、または二度、手首をスナップさせる。三度からはくどい。
これが少し気取った奴は、スピリッツ等香りや度数が高い酒をストレートで楽しむ時に用いる、テイスティンググラスの場合もある。この場合は手首をスナップさせるのは一度であろう。そんなやついるのか。
そして、もう一つ。
この指が作る小さな円の径が少し大きくなり、
指が二本から三本、ないし四本に増える。
この場合はロックグラスで焼酎を飲む仕草に似ている。
気取った奴なんかはロックスタイルのカクテルを想像している場合もある。
ここでは、相手が気取り屋かそうでないかでどこへ連れて行かれるか別れるので注意が必要である。
あと、もう一つは、拳を握って、口元から横に数センチずらし、少し大きく前後に回転させる仕草。この場合は気取っていようが気取っていなかろうがジョッキを想定して例えていることがほとんどであるので、想像力はさほど必要ではなく、先程挙げた心配は無用のように思える。
…私は数を数えることが苦手なのかもしれない。
そう、私は喫煙者であるので、一本、どうですか?と訊かれることも多い。
この場合はほとんどが煙草であると想像される。
煙草以外であったら、今の日本ではそいつとは距離をとった方がいいかもしれない。
この場合のジェスチャーが、口元で指を二本立てる仕草だ。
カトちゃんぺ、だ。
これはどんな吸い方をする人間も同じ仕草をするように思う。
それ以外の仕草を用いる人とは是非会ってみたい。
閑話休題。
お茶の場合の話をしよう。
お茶の場合はジェスチャーを用いずに、
「一杯『お茶』でもどうですか?」と訊くことが多いように思う。
経験上、この時の一杯は、悲しいかな、本当に一杯で済んでしまうことがほとんどだ。
この場合私は「お茶」を独断で「珈琲」に脳内変換することが多い。余談。
お茶であろうと珈琲であろうと、この時の目的は「お茶」自体ではなく、
「会話」がメインなことがほとんどだ。
珈琲が好きな私からすると、終盤、必然的に珈琲が冷めてしまっていることがしばしばであるので、すこしもったいない気になる。これも余談であるが。
この状況下において時たま発せられる言葉で好きな言葉が一つある。
「もう一杯、何か飲みますか?」
これは、私との会話を継続したい、という好意的な意思表示と捉えることができる。
できる。私はする。断じて希望的観測ではない。いいから聞いて。
私はカフェでの勤務経験がある。客席からこのワードが聞こえてくると、少し暖かい気持ちになったものだった。
しかし、この「もう一杯、何か飲みますか?」と言う言葉、
最近は聞く機会が減ったように思う。
仕事やめたからだろ、と指を差したそこのあなた。
今私にはその指摘は地雷なのでやめて頂きたい。いいから聞いて。
相手との心理的距離にも依るかもしれないが、
現代の日本では、飲み物の残量そっちのけで会話が繰り広げられている現場をよく目にする。
私も客である場合は特に気にも留めないことであるが、
もし自分がカフェないし喫茶店のスタッフであった場合、
少しヤキモキしてしまう現場である。
「あのお客さん、もう三時間も話しているのにおかわりまだしないのかな…」
私はその目線が気になってしまうので、会話の時間に応じて飲み物を追加オーダーする。
私は飲みたい温かい珈琲をもう一度飲める。
その分店の売り上げが上がる。
日本の経済がほんっっっの少しだけ回る。
世界は平和だ。
人との会話の間には、物理的に飲み物が挟まれていることが多い。
もし、私とお茶する機会ができた時は、
二杯飲んでくれたら私の精神と喫茶店と日本経済がほんの少しだけ救われる。
覚えておいてね。