お願いします。敬体、常体混じっているけど、本当に色んな人に読んで欲しい。

ごめんなさい。

真面目な話をします。

愛なんて大層なものは望みません。

無様なことは重々承知した上で、

心配や同情のようなものが欲しいのです。

 

私は、先月末、仕事をやめました。

もともと蓄積されていた心の膿のような澱がいよいよ爆発し、

逃げるような形でやめました。

逃げなければきっと、今頃死んでいたであろうからです。

薬と酒を両手にしたときに、ふと一縷の望みに賭け、

友人に電話をかけると、出てくれました。

私の今の状況をよく聞いてくれた友人でした。

死ぬくらいなら逃げろ、と、今まで持ち得なかった勇気をもらって、

仕事を辞める決断がやっとできました。

 

職場は小さい店で、形式上は正社員、建前上では店長として勤めていました。

基本的には、昨年いっぱいは私一人きりで店を回していました。

私の代わりを務められる人は、暫定用意されていませんでした。

しかし、職場には多大な恩義がありました。

店主は言いました。

「お前の将来は一生背負う覚悟で雇う。」

一般的に見れば、とんでもなく劣悪な条件で働いていたらしいのです。

ですが、カリスマ性のある店主に盲目的に追従しました。

この人を信じればいつか、と毎日をこなしているといつの間にか目の前すら見えなくなっていました。

そして、私は裏切られたと思い、裏切りました。

私は、無垢に、信じていたと思います。

やめた日からは罪悪感と不能感に襲われる毎日で、

それから目を背けることに精一杯でした。

考え方を変えれば前を向ける。

色んな人に言われました。お医者さんにも言われました。

それが簡単にできていたらこんな色んな人に同じアドバイスをもらうこともないでしょう。

 

予想通り、12月の給料は入ってきていません。

そこに関しては、戦うつもりも気力もないので諦めています。

失業保険の方も絶望的です。

なぜなら、私自身、もう職場と少しでも関わりたくないのです。

 

とにかく休め。と医者の先生は仰います。

今の心身の状態じゃとても仕事はできないでしょう、と。

ですが立派な医療費がかかります。

減額制度の話を聞きました。手続きを進めた方がいいでしょう。と。

それから、2、3週間がたった今、未だに書類の用意がありません。

そしてまた、この後に及んで薬が強くなりました。

 

最近、過去に犯した罪のことを思い出す。

もちろん、今はそこに於いてはちゃんといていると思う。

だけど、今日になってそのころ罪に蝕まれていた心地を思い出してしまった。

また罪人に戻ってしまいそうで怖かった。

先生は忙しそうで事務的で、薬の効きや今の体調をさらっと聞いただけで血液検査に回した。なんにも話せなかった。

 

私は、歌、小説を書いている。

創作をしているとき、何よりお救われていたはずだった。

私の産む創作物は、浅ましくかつ卑劣な精神性から生み出されるものがほとんどだ。

今、私はとても気色の悪い作品を生み出そうとしている。

彼の文豪たちはそれを自然としてありのまま生み出していたはずだ。

だけど、今の私は、今生み出しているものが気持ち悪いものであることを自覚してしまっている。誰かを傷つけて然るべき文章を綴っている。

変態で、異常者だ。誰かを辱めようとしているのだ。

愛することができるのだろうか。

とても悪いことをしているのではないか、と言う気持ちに駆られた。

 

そうでない時は小説を読む。

昔から、どろどろとした心の膿を表現したものや一筋縄で幸せと呼べない物語を好んで拝読していたから、それすら苦痛になっていた。

私が一番好きな小説はそうではなかった。

訳あって、今は手元にない。たいせつな「友人」に貸している。そもそも持ち歩きすぎて、コーヒーをこぼしたりなどで何回か買い替えているものなのだが、今回はちゃち(認めたくないけど)なプライドが邪魔をして安易と新調することが憚れてしまっている。正直、異mかものすごく寄り掛かりたい。

 

私は、執筆をしていた喫茶店を早足で(ほとんど走っていたように思う)

抜け出した。

頭を抱え、今自分がどこにいて何をするべきかもわからずに

じっとしていられなくなった。

走って家まで向かった。

忘れ物に気づいた。

スマートフォンにタバコ、macbookすら起きっぱなしだった。

慌てて、全部を鞄に押し込み、また店を出て走った。

走らずにはいられなくなった。

 

もちろん息が切れる運動不足の自覚はなかったが、調子が悪かったのだろう、すぐに膝に手をついた。

とてもひどい顔をしていたのだろう、

二、三の信号待ちをしていた人たちが気色の悪いものを見るような目で、

あからさまに顔を顰めて数メートル離れていった。

スーツを着ていたサラリーマン然とした男、

買い物帰りの主婦でろう、易しい服装の女性、

髪が目が隠れるようなあたりで切り揃えられた若い男。

 

私の目には幸せそうに見えた。

その幸せそうな姿がとても厭らしい精神性を醸し出しているように思えてしまった。

完全に、知らない人が怖くなってしまいそうになった。

あの目は、一生忘れられない気がする。

 

底辺であろうと地上に暮らせていた。

その資格を剥奪された今、ただの汚物に成り下がった。

生きることにすら罪悪感を感じている。

正直、死にたいなんて思っていた頃はまだ健全であったかもしれない。

生きなければいけない強迫観念と、死ななければいけない責任感、

せめぎ合っている。

 

薬局に走り、処方箋を突き出す。

薬の在庫がないと言われた。

ほとんど絶望し、一番嫌いな時間に対する不安がぱんぱんに膨らんだ。

 

 

こんなこと、他の人が見たら、甘えと片付けられてしまうことがしばしばだろう。

(実際にそういうことも何度も言われた)

私は、自分より不幸な人を知りたくない。

浅ましい精神性だが、やはり、そんな存在は認めたくないものだ。

人の不幸のキャパなんて知ったこっちゃない。

私は私で、純度の高い絶望の中にいる。

 

私は、心の中にはコップがあるものだと思っている。

昔は、それが一つだと思っていた。

例えば、不幸せの水が溜まっているところを幸せの水を注げば、キャパオーバーで水が溢れ、不幸せの水が抜けたり薄くなったりで、幸せの水の容量が増え、純度が高くなる。

溢れたものが眼球を潤してくれるんだ。

そう言うものだと思っていた。

しかし、最近それは二つあるものだと気づいた。

幸せの水は貯まれど、別のコップに不幸の水が貯まる。

幸せな水はすぐに飲み干してしまうもの。

だけど不幸せのコップは溢れるギリギリ、いや、もう溢れているのかもしれない。

こころはぐしょぐしょに濡れている。いつ、体の外に排出されてもおかしくないもののはずだが、眼球はカラっカラに乾いている。

 

誰か。本当は手を伸ばしたいと、この手を握って欲しいと切に願う場所がある。

でも、離れてしまうことを恐れて手を伸ばせない。 

 

私は、健全であった頃が遠い昔で会ったように思え、

今、私がどうなればいいのか、さっぱりわからなくなってしまっている。

誰か知っているのなら、同情でも善意でも道を示して欲しい。

 

 

 

そんな一日でも、蜘蛛の糸のような、ほっそい一縷の光を手にした。

単なる偶然、されど巡り合わせ。それでも、なんとか明日の朝日は目に掛けることができるように思う。本当にありがとう。

 

 

 

今回は、本当に書いたいことをつらつらと述べたばかりの日記です。

ポエマーらしからぬ拙文、お許し願いたい。