ヒーローには向いていない

私は電車が嫌いだ。一人で乗ることが嫌いだ。

 

混んでいる電車はもちろん嫌いだが、

そこそこ空いている電車が一番嫌いだ。

 

それこそ、空席がマダラに点在しているような電車や、

二、三ほどの半端な空席が残っている電車だ。

 

一つの理由は、座っている人の隣に腰を下ろして、

隣の乗客に不快感を露わにされないか、と言う恐怖である。

 

もう一つの理由は、数少ない残っている空席に、

自分が座ることを許されている気がしないからだ。

例えば一つ席が空いているとしよう。

他に空席を待つ乗客がいないと分かれば心置きなくその席に腰を下ろすことができる。

だがしかし、他に立っている乗客がいる場合、その乗客が座りたがっているか否かなど、見た目で判断することは不可能であるので、気持ちよく席に座ることなどできない。

空席が少ない車両の席を一つ占領して、その後の駅で乗客が半端に増えないとも限らない。

そこで自己都合で席を譲るのは不自然、と言うか不気味の域に入っている気がする。

そう、そもそも、人に席を譲ると言うことが嫌いなのだ。

人に席を譲る行為は、小学校の道徳の授業で教えられた数倍もの労力を要するからだ。

だから私は、席に座らない選択を取るケースが多い。

 

しかし厄介なことがある。

自分が電車に乗って、つり革に掴まって立っている時、

明らかに足が不自由そうな、

或いは様々な理由で立っていることが辛そうな客が乗車してきた時のことで、

席が埋まっていたりしてその人が座れていないとどうもやるせない気持ちになる。

でも私は、ここで声をあげるほどの精神力を持ち合わせていないため、

結局見て見ぬふりをしてやり過ごすことに徹してしまう。

そのようなケースが、私の精神衛生に一番悪い。

 

 

私は役所の用事を済ませ、件の(喫煙者のオアシスの)喫茶店に来た。

 

悪天候の四時少し過ぎだというのにもかかわらず、店内は混雑していた。

私はいつものソファーの席に向かった。

 

二名用の6卓の席は、五、六の学生風情の男女がほとんどを埋めていた。

全員連れらしく、少々厄介と思われる声量で会話していた。

 

隣に一つ空いていると思い、その席に近づくと、荷物が置かれていた。

よくあることで、空席も他に一つあったので、そこに決めた。

隣の人との座席の間隔がソファーの席と比べて少々狭いため、

あまり好まないがその席を使うことにした。入口が近いから寒い。

 

この喫茶店は居心地の良さからか店内の広さの割に回転数は少ないように思える。

 

私が腰掛けた席が最後の空席だったため、

こうしている間にも入店しては満席を確認して退店していく客が何人も通った。

 

よくある光景なのでそれ自体は気にならなかったのだが、

よくよくソファー席を確認すると、空席の荷物の主が隣の若者の集団の軽い手荷物であることが判明した。

 

店内には粘り強く席が空くのを待っている客が数名いた。

 

この状況が一番嫌いなのだ。

 

セルフサービスのこの店でこの混雑状態では、

店員さんが気づくことも難しく、

周りの客ももちろんそのことを指摘することはない。

 

もしこの状況に気付いているのが自分だけであったら?

 

その場合、自分が唯一の同罪の人間になってしまう。

居た堪れなさについには胃が痛み出したため、

我慢できずに店員さんに報告した。

 

店員はすぐさま現場に向かい、隣の客に声を掛ける。

荷物の主はやはり隣のグループで、

あからさまに不快感を顔に滲ませていた。

心なしか店員さんの顔も不快感が滲んでいるように見えた。

空席待ちの客は何事もなかったかのような平静さで席に着く。

 

自分のとった行動は果たして最善だったのか?

意気地なしの性分の持ち主のくせに、

自分に害のない、関与しないところでこそ義憤に駆られてしまうことにいつも悩まされる。

 

もしかしたら密告をしたのは自分だとバレるかもしれない。

「アイツ俺らのことチクったぞ」

そんな恐怖から、もうその席の様子は確認することができない。

 

ソファ席の視線と、隣の人に画面を見られていないかという不安と、

換気中の店内の寒さに震えながらこの文章を書いている。

 

隣が空いた。

 

 

 

もう埋まった。