誰かの胸

今日はお医者さんの日。

 

なんだかんだ最近は悩みを話すようになってきた。

 

お医者の先生は、信用と信頼の違いを説いてきた。

 

信頼している人間に裏切られてもショックは受けるはずがないらしい。

 

信頼とは、一度の裏切りによって瓦解するものではなく、

 

何をされても許してあげられる関係らしい。

 

「私は、家族には恵まれていますが、もし理不尽に見捨てられたりしたら傷つきますよ。」

と言ったら、

 

それは家族も信頼していないということ、と返ってきた。

 

裏切られて傷つかない人なんているのか?

と考えてみる。

 

どうやら私には信頼している人はいないらしい。

 

誰かに裏切られるたび傷ついてきた私は、信頼できる人に出会ったことがない。

 

 

「こんな自分を拾ってくれた職場に恩を感じそうになったんですが、いずれそれが自分の首を絞めるものになってしまう予感がして、打ち消してしまうんです。」

と相談すると、それは真っ当な考えだと肯定された。

 

私は恩知らずにならなければならないらしい。

 

どんどん冷たくなっていく気がする。

それがまともな人間のうまい生き方だって言うのかな?

 

信じる力が強いほど裏切られた時のショックって大きいものだと思うけど。

だからこそ人を信じることにうんざりしてしまっているのだけど。

 

それを伝えた。

 

いつか信頼できる人に出会えるんだとさ。

でもとても難しいことらしい。

 

昨日、山田詠美の「トラッシュ」をようやく読み終えた。長い上に重過ぎて途中で別のライトなエイミーを三作挟んだのだけど。終盤に、こんな一節があった。いや、こんなニュアンスの話があった。

 

自分のための涙を流せる他人の胸が人には必要なんだと。

 

それがなければいわゆる悪い人生の方向に向かってゆくんだと。

 

まだ子供であるジェシーにはそれがなくなってしまった。

 

でも、それはいずれ、自分で見つけていく必要がある。

 

自分で手に入れるからこそ、涙を見せられる相手ができるものなんだと。

 

私にはそれはいないなあ、って深く刺さった。

 

最近の悩みは何があっても涙を流せないこと。

 

それは心の内を預けられる相手がいないからなのかもしれない。

 

先生曰く、トライアンドエラーだ。信用して、裏切られて傷ついての繰り返し。

その先にあるもんなんだってさ。

 

そんなのって修羅すぎる。もうええわ。

 

疲れたよ、パトラッs…

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