あの日の篝火

山があると、次には本当に谷が待っているらしい。

 

いつかの昼、一丁前に仕事場としていた、亡くなったじいちゃんの部屋で一人両手で、それこそルフィが出港した時みたいに両手でガッツポーズした。

 

素で。

 

今となってはそれこそ懐かしく思える。

 

少し外に出かけたら、もうそこを職場と呼べない自分になって帰ってきた。

 

もちろんその喜びは心のどこかにまだ残っていて、

明日になればひょこっと顔を出してくれるであろうと信じている。

 

今は悲しみの幕に覆われている。この薄い暗幕は、文字通りペラペラなはずで、拭けば飛ぶような軽さなはずなのに。

どうしてこんなにもわざわざ、吹いている風で飛ばないように慎重に被せてしまうのだろうか。

 

早く朝になれ。

 

こんな夜に限っていつも独り。

 

最近の心は、調子がいいに見せかけて、色々諦めてしまっているだけのように見える。

 

信用だの、信頼だの、クソ喰らえだ。

 

そう思っていたはずだ。

 

なのに、実はそこここに転がっていたりする裏切りに失望する痛みはいつになっても優しいものにはならない。

 

希望を持って、頑張れていたつもりだった。それすらも届かずにいきなり関係を絶たれてしまった。

 

人を信用できないことに固執していることは、実は人を信じたい気持ちが強いからこそなのだろうか。

 

そうでなければ糞喰らえなんて言葉は出てこないはずだ。

 

だからこそ、裏切られることを恐れて、信じることが怖いのだろう。

 

でもまだ、信じたいと思う愛が手元にある。

私はそれを手放しで信じることができない。

 

喜びの後には必ず悲しみが舞台袖で準備していて、

出会いの場合も同じように別れが出番を待っている、

 

逆を考えれば、という人も多いとは思うが、

私の性格上、それはできない。許して欲しい。

 

だからあえて、虚勢を張らせて頂きたい。

 

信頼なんてクソ喰らえだ。

これは、自分への戒めであり、業だ。

 

いい加減、人を信頼するのも、期待するのも諦めて欲しい。

 

信用するのもされるのも、もううんざりだ。

でも、諦めきれずになんでそれを探してしまうのだろうな。

 

自分しか信じていなかった頃の私は今は眩しすぎる。

 

たった一人の人間を信じて自分を犠牲に身を粉にしていた頃の私はよく頑張ったと思う。

 

一つの愛の形を唯一無二として信じ切っていたあの瞬間は世界が美しかった。

 

今は、信じ、信じられていたあの頃に持っていたものは一つ残らずこの手から離れた。

糞食らえ、なんて言って、一番欲しいものは人生を支える、信じられる何かかもしれないな。

 

何も信じられない、ということを信じ切るには自分はまだ弱すぎて、

その道は選べない。やはり、何か信じられるものが欲しい。

 

一つの賭けだ。だから私は信じることを恐れている。

それをするには裏切りを信じすぎてしまっている。

 

 

 

やはり夜は怖い。

こんな独り言を一人の部屋で呟いてしまう。

だから今日は、強制終了でもいい。寝ることに尽力しよう。

夜は世界が広すぎる。

だけどいつか読み返した時、この散文が足下を照らす篝火になることを夢見ている。

こんな夜に、
「ざまあみろ。そしてよく戦ったな自分。」

と、今は未来にできないこの夜を笑える日が来るように。

 

この夜を燃やし尽くすことができたら、きっと足下は明るく照らされているはずだ。

それは遠い未来の話。

 

だから今は、私の話を聞いてくれませんか。

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amazarashi 『未来になれなかったあの夜に』Music Video