トートバッグを買った。
仲原淳一の絵がデザインされているトートバッグだ。
昨日までは毎日、中身の整理されていないリュックを背負っていた。
読んでいる本、読んだ本、読んでいない本、潰れた頭痛薬、ページを使い切ったノートに使い切っていないノート、国民年金の払込票、紐が切れて中身が出ているお守り、底には折れたマッチが散乱していた。
必要なものよりも必要のないもので満たされたリュックは、
他人に驚かれるほど重かった。
もちろん自分でも重いと感じていた。
いろんな意味で重かった。
リュックは、もう会えない、会いたくない人から譲り受けたものだった。
私は物を捨てることが苦手で、
喧嘩して縁が切れた友達、
別れた恋人、
最悪な形で関係が壊れてしまった人など
そんな人から贈られた物を今でも使っていることが多い。
持っていたくない、そう思う人も多いと思うけど、
まだ使えるのであれば私は捨てずに使ってしまう。
私の方から逃げてきたのに、調子のいいもんだな。
そんなことを思いながら重たいリュックを毎日背負っていた。
質量以上の重みには気づかないふりをしていた。
だから、量の肩を引っ張るベルトは、
いつも私を羽交い締めしているようだった。
私は抗うことはせずに、向かい風を甘んじて受けていた。
仲原淳一のトートは、13インチのパソコンがちょうど入る、
大きすぎず小さすぎない物で、
チャックもついていなかった。
物を整理できない私にはちょうどいいのかも。
早速、左の肩に提げて出かけた。
トートには必要な物だけをしまい、
必要のないものは置いてきた。
片方の肩だけにかかる重量は、
何だか心地いいもので、
心なしか足取りは軽く、向かい風には春の匂いを感じた。
楽だ。
必要のないものを背負わないことがこんなに楽だったなんて。
この肩が、実は背負うべきものが少ないことを少しだけ切なく感じながら、
明日の足取りはきっともっと軽くなっているんだろうな。