ここ最近は、小説を読むのも映画を観るのも、
多大なエネルギーを消費する。
もともと大好きなことなのだけど、
以前にもまして受け取り過ぎてしまうからだろうか、
疲労感を覚えてしまうようになった。
しかし何故だろう、手元にないとやはり落ち着かないというか、
不安が増してしまい、そっちの方が精神衛生によくないから、
やはりやめることはできない。
一月に入って、AmazonPrimeVideoで三本映画を観た。
なんの因果か(自分のチョイス他ならないのだけど)
全てクリスマスに関する映画だった。
クリスマスキャロル
天使がくれた時間
天使がくれた時間はそこまでクリスマス色の強い映画ではなかったけど。
あと、観たのが深夜だったから、最後の一番重要なシーンは朦朧としていてあまり覚えていない。後でまた観なければ。
クリスマスキャロルに関しては、昔観た時はハッピーエンドの映画のように捉えていて、
スクルージさんが陽気なおじさんに変わるところで心温まるような感覚を抱いた記憶があるが、この歳になって観てみればまた、全然違う感想を抱くものだった。
私の前には妖精なんて現れるわけもなく、
きっと私にも知らず知らずのうちに後悔は積み重なっていて、
スクルージさんのように、後悔を”先”に悔いることなどできない。
クリスマスキャロルは子供にもわかるように大袈裟な話だけど、
現実、そんなわかりやすく後悔を残すような生き方を選択するような人も、
今はあまりいたものではないだろう。
悪事や意地悪でもなく、細かな選択により積み重なる見えない後悔。
私たちはこれを改める機会など与えられるはずもないのだ。
天使がくれた時間は、クリスマスキャロルにインスパイアされたわけではないだろうが、
この点を少しリアルにした、選択による幸せの分岐が描かれていた。
子供向けの、いかにも勧善懲悪なハッピーエンドとは違い、
やはり、幸せの取捨選択を迫られている現実感を感じさせるものになっていて、
終始切なさがついて回った。
最後のシーン見てないからなんとも言えないんだけど。
ラブ・アクチュアリーに関して抱いた感想は、
この記事にラフにまとめるにはあまりに多すぎるので、
機会があれば別で記事にしようと思う。
ラブ・アクチュアリーは登場人物が多く、かつグランドホテル方式をとっている映画なので、
物語を追い切るのが難しい映画のような印象を抱いたが、
どの「愛」も心温まる結末を迎えているように思えた。
しかし、覚えている限り、唯一切ない終わり方をしている二人がいた。
どうしてもそのシーンだけが頭から離れない。
クリスマスイブに、遅くまで仕事をしているサラに、
眺めるともなしに佇んでいるカール。
夜も更けて二人きりのオフィスで、
「メリークリスマス」とだけ言葉をかわし、
オフィスを後にするカール。
愛し合っているはずの二人なのに、
想いはすれ違ってしまう。
あっちがこっちを向いたと思えば、こっちがどこかを向いてしまう。
そんなのばっかだ。
あの時の、
「メリークリスマス」
は、どういう気持ちで私に伝えたのだろう。
どうしても考えてしまって、
それは今でもわからないまま。
始まってもいないから、終わらせることもできないクリスマス。
だから今日も、一月は終わりだというのに、
街は喧しく爛々と輝いている。