贈れなくなった贈り物を、
捨てることもできずに、
私の部屋にそれが増えていく。
ものであったり言葉であったり気持ちであったり。
それを目にするたび、一人一人、誰かの顔が浮かぶ。
贈り物で埋められた部屋は切なさが充満している。
贈った愛、贈られた愛なんかよりも、
贈れなかった愛や贈ってもらえなかった愛の方が、
深く心に足跡を残すみたいだ。
〜
人生に於いて、私は負けてばっかだ。
負けた数で競えばそこら辺の人に勝てる気がする。
大会があれば、県大会くらいには出場できるのではないか。
人生に勝負をしかけては、
あっけなく大敗を喫し、
その先で見つけた土俵で、
また勝負をしかけては敗け、
繰り返していくうちに、
流されるまま流されて、
着いた先は広い海ではなく、
袋小路の汚れた沼。
私は先日、沼を抜け出さんと、
懲りずに勝負をしかけた。
さっき、敗北を宣言された。
膝の力が抜け、頽れた。
どこまでも落ちていく感覚があった。
もう、ダメかもしれない。
もう、
関東大会まで出場できるかもしれないね。
そんな時、シャフル再生を放置した、
バックグラウンドミュージックが、
昔の友達の歌を流した。
「何のために息をするのかすら分からなくなりました
これが『甘え』っていうならもう救いがないのです
いつになればわたしはわたしを愛せるのか
今世は一度きりの人生ですもの、いつか死ぬまで
こいつだけは好きでいたい
愛してあげたいのです」
(意味のない常套句なら要らないのです/橙乃祐理)
Imi no nai jyoutouku nara iranainodesu
這い上がりかけた沼の淵にかかった足が
後ろに滑って仰向けに沼に落ちそうになったところを、
すんでのところでそっと背中を支えてくれた。
力を借りて踏ん張る。
私は、私を愛してあげたかったんだ。
だから頑張ったんじゃんか。
足に力が戻っていき、私はまた立ち上がった。
音楽だけはやっぱり、どれだけ恨んでも呪い切れないな。
背中、を支えてくれたということは、
もしかしたら彼女も、
今沼にハマってしまっているのかもしれないな、
なんて思った。
〜
私は髪を伸ばした。
逆に、糸を無作為に束ねてバッサリと切った。
その糸の中に、彼女との繋がりも含まれていた。
人との繋がりはなんて脆いものなのだろう。
例えば、何者でもない私が今死んだとして、
その訃報は一体何人に届くのだろう。
知らせが届かない人の数の分だけ、
部屋に贈り物が溜まっていく。
溜まっている贈り物の割合の多くを占めているものは
「感謝」だ。
悲しいかな、そのほとんどが
届けられなくなってから存在に気づく代物だったりする。
心に深く刻み込まれた、
言えなかった「ありがとう」で、
部屋が息苦しい。
もうダメかもしれなかったところでも立ち上がった。
伝えずにはいられない。
そんな気持ちと、
後悔はもう懲り懲りだ。
そんな気持ちが私を動かした。
私は夢中になって、ほつれた糸を手繰った。
毳毳になった糸の先に希望の光、一縷の繋がりを見出して、
部屋に増えた一つのありがとうを、
今度こそは、と贈ってみる。
届くといいな。