脱糞した

最悪だ

 

ここ最近の腹の調子は絶不調ではあったが

 

少しの衝撃で生暖か

 

 

 

やめよう

 

散々だ

 

人生で口に出してこんなにしっくりくる時がやってこようとは

 

散々だ

 

もう散々だ

 

天国行きの奴らの吐く息は肌に合わない

 

呼吸ができない

 

どこかに仲間はいないのか

 

かれこれどれくらい探しているだろうか

 

精神科医が云った

 

信頼とは個々人の体験する裏切りの数々の上に培われていくものだ、と

 

要はトライアンドエラー

 

そう、裏切られ続ければいつか信頼できる人間に辿り着けるのだと

 

過去の記事でも同じようなことを書いたような気がする

 

対人のコミュニケーションの失敗によって

 

会えなくなった人や離れていった人は何人もいる

 

学ぶことも多い

 

しかし学びすらさせてもらえないことも多い

 

私の何が悪かったのかせめて教えてから消え去ってくれ

 

そう願うことがそもそも厄介で

 

自覚していないところが痛々しいやつみたいで

 

いや実際痛々しいやつなのだと思うのだが

 

答のない対人問題においてトライアンドエラーを繰り返し

 

編み出した解が全て間違えていたものだとしたら

 

果たして周りには誰もいなくなってしまうのではないか

 

そんなことを考えていた矢先の話

 

あまり詳しくは言えないが、特別信じていない者からの裏切りに衝った

 

予期せぬ不意打ちのような、まさに晴天の霹靂と言った裏切りだ

 

昨夜一昨日は打ちひしがれて感情を持てなかったが

 

今となってはそれを怒りに昇華できている気がする

 

そしてまた花を買った

 

私は感情が昂ると衝動的に花を買う

 

らしい

 

花は美しく、エロい

 

一種の快楽物質が体から分泌されているのがわかる

 

もちろんそれでも怒りは消えないから、頭の中はカオスだ

 

 

腹は弱く

 

私は怒り

 

花はエロい。

 

 

 

帰ってきた時お花いじりしてたらデルフィニウムの花弁が一枚落ちてしまっていたみたい

 

かんわいい。

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風邪をひいた

職場の厨房が寒く感じて家に帰された

 

それから間も無く扁桃腺が膨れ上がって

計らないでもわかる高熱に襲われた

 

帰りの電車で気を失って、終点で駅員さんに起こされた

 

最寄りの駅居着いたところ、携帯がないことに気がついた

 

駅員さんに相談した

 

気だるそうに特徴を聞かれ、黒のiPhone、シリコンカバーで背面に押し花、と伝えた

 

癖なのだろうか、言葉と言葉の間に鼻から息を吐く喋り方をする人だった

 

その鼻から漏れる空気の音を聞くたび私の体が怠くなっていく

 

自棄になると私はマクドナルドを食べる

 

復刻のチキンの辛いやつのセットを持ち帰った

 

AirPodsどこにやったっけ

 

今日は持っていってすらいないはず

 

ああ、失くした

 

私はバーガーとポテトを半分食べ、不貞寝した

 

携帯の方は捜索をして1時間ほどで電話を頂けるとのことだった

 

電話がかかってきたのは4時間ほど経った頃

 

病院の診療の受付も締め切った頃だ

 

駅員さんによると特徴の携帯は見当たらなかったとのこと

 

順序を違えた、と後になって気づいたのだが、

 

Macの捜索機能を使って現在地を調べたところ

 

沿線の都内の区間を走行中の電車にまだ乗っているようだった

 

ついてない、と言う言葉で済ませてはならないような気がして

 

窓を貫いている五月蠅い橙に背を焼かれながらやけっぱちに意識を閉じた

 

お説教も講釈もなにも耳に入れることを許さずに塞いでいた

 

 

しばらく何も挿していない花瓶には苔が蒸しており

 

件の一輪挿しに新しい花も挿さることはなく

 

活字が紙の上を躍らなくなり

 

私の指は言葉の発し方を忘れていた

 

私が今できる俗世間に対する悪あがきといえば

 

ストレリチアの鉢に水をやることくらいで

 

彼は今、傷つきながらも順調に大きく生長している

 

きっとこのまま体に苔を生やし続けていたら

 

あっという間に私のせいよりも大きくなってしまうんだろうな。

 

悔しいな

 

負けるか

 

勝てるかな

 

私はずっとここで足踏みをしているけど

 

彼はもうこのステージでは窮屈そうだ

 

だからもう一つ大きな鉢を買ってあげなきゃ

 

ずっとせいくらべしていようね。

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一応言っておくが

 

もちろんまたPCR検査を受けたがトントンと陰性の診断を受けた

 

明日からまた仕事、がんばります

転んだ

痛い

 

そこで初めて自分が走っていたことに気がついた

 

「どうして足なんか引っかけたの?」

 

と聞いたら

 

「そっちじゃないよ」

 

と教えてくれた

 

「じゃあどっち?」

 

と聞いたら

 

「そっちじゃないどこか」

 

と教えてくれた

 

「こっちでもないから着いてこないで」

 

とも教えてくれた

 

痛みが走って

 

傷と目が合った

 

口の中を切ったみたいで

 

血の味を思い出し

 

そこで

 

おかえりって言ったような気がした

 

ただいまと聞こえた気がして

 

私は少し

 

畏がっている

喪中です

この記事は見る人によっては「死」を冒涜しているととられる恐れがあるため、予めそれを理解した上で苦手な方は閲覧を控えていただきたい。

 

 

 

私の中で、件の彼人は死んだことにした。

大変不謹慎な話に思うだろう。しかし私は極めて利己的で、私に関わることのない人が死んでいても生きていても私にとっては同じことなのだ。

もう関わることもない。名前も聞くこともない。どこで何をしているのかわかるわけもないのだから、私の中で死んだも同然だ。

だって、お互いいつ死んでもわからないような関係なのだから。

箱の中の猫さながら、生きているか死んでいるか確かめる術などないのだから。この先未来永劫。

 

前回の記事を読んだ人は、さぞかし私のことを可哀想な人だと思っただろう。

でも、彼人を死んだことにしてしまえば、私自身あちらを可哀想だと思えてくる。

要は自分の惨めを自分の解釈で他人に押し付けているようなもんだ。

相手が生きていることなど想像したところで、真実にはなり得ない。しかもそんなもの想像しても苦悩しか生まれない。あの恋に愛など微塵もなかったのだから。死んだことにしないとこちらがやってられない。元気で生きていることを願えるほど私は出来た人間ではない。

 

?、いいえ、私は悲しんでいるんだよ。

最愛、いや、最恋の人の死に悼んで。

喪に服しているの。

漸く実の祖父の喪が明けたばかりだと言うのに。

ああ、どうして死んでしまったの。

 

彼人が死んでしまった故に、私自身の死も殺されてしまった。

かつて本当の意味での死を嘱託した相手であったのだから。

 

それが叶わなくても、恋にとどめを刺すのは自分自身と決めていた。

自殺を望んでいた「恋心」の死因は不慮の事故死となった。

なんだってこんなに突然に。

 

そんなものと人の死を一緒くたにすることなど、命を冒涜している、と思うかも知れない。しかし、誰かと金輪際死んでも会うことが叶わないと知ることは、人の死と同等に悲しむに値する喪失だと思う。

 

死に目に会う準備などさせてくれるほど世界は優しくない。

別れはいつだって突然なのだから。

 

最恋の人へ、そして何より私自身の気持ちに

 

両手いっぱいの皮肉と憎しみ、そして感謝を込めて、

 

合掌。

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虚なる花瓶

風邪を引きました。それも結構重いの。

 

医療機関にかかるとやはり、PCR検査に回された。

 

陰性ではあったが、今回の風邪で色々と怖い思いをした。

今回はその話はしないけどね。

 

検査を受けたのは火曜の話。

職場は優しくて、今日の今日まで休みをくれた。

まだ有給を取れる身分ではないので単純に給料は減るのだけど。

 

昨日、数ヶ月繰り広げていた沈黙の片恋が終焉の鐘を鳴らした。

もちろん奏でるは、マイナー。

 

化学文明幾年、発達以来、この現象には名前がつかない。

なぜ人は風邪を引くと好きな人に連絡をしたくなるのだろうか。

その理屈とか心理とかは理解できるのだが。

 

 

或12月、とてもやんごとなき事情で彼人は元気をなくしてしまい、それからずっと会えないことになった。元気になったらまた会うことを約束し、その日を夢に見て眠った。

 

私は快気の報告を今か今かと待ち続け、待ち続けていた。

彼人からの連絡は一向に来なかった。私は今月に3月に入った頃だろうか、彼人に連絡を入れてみた。

彼人はいつの間にか元気を取り戻し、恋人を作っていた。

 

私は谷崎なんちゃらとかいう作家の或作品に大変感銘を受けるほどの人間であり、もちろん凄まじくショッキングではあったが、それでも彼人の目に私が映っているのであれば二番手でも構わないと思った。だって、あんなに愛してくれた時もあったのだから、二番手は確実なのだ。

 

恋は盲とはよく言ったもので、その時の私は略奪二股なんでもござれという状態だった。

・不倫•••倫理にあらず

弱者な私は恋愛の作法に不勉強で、その先にある恋愛における倫理など知るはずもないのだからないもの同然だ。

彼人もそこに於ける倫理など持ち合わせていないような人なのだから、尚。

 

風邪の話に戻るのだが、これでも病院にかかる前日なんかは呼吸もままならないほどのものであった。一日二日寝込み、やっと善くなったものだ。

 

体の調子が戻ると、急に誰かに気にかけて欲しくなった。

他ならぬ彼人に。

 

久方ぶりに電話などしようず、などと申し入れてみた。

その途端に動悸が激しくなった。

慣れないものではあるが、悪いものでもないなとかなんとか思っていたかな。

 

彼人は言った。

恋人が嫌がるからできない、と。

 

許せない、許せない。

彼人からそんな、聖人君子のような、そして真実の言葉など口にされたくなかった。

 

思えば一度も告白などしたことなかった。

それなのに何度もフラれている気がする。

 

そこから私の悪癖が激化した。

しかし私のマシンガンが彼人に通用しないことなど分かっていた。

 

驚くべきことにセフレは全員切ったらしい。

ならばなぜ、私は、と問うと

あなたはセフレでもない、それ以下の存在だ、と言う旨の。

取るに足らない眼中にない人間であったらしい。何が二番手だ、ちくしょう。

 

私は、興味のない人間にも甘言を囁く人間だよ、と改めて。

私はひどい人間だから何を言ったかも覚えていないし、全て嘘だろう、と。

 

「今までありがとう。ばいばい!」

 

打ち切り。

「俺たちの戦いはこれからだ」END

7回雨天コールド負け。

 

簡単に繋がれる分、離れる時もあまりにもあっけない。現代。

 

本を貸していた。そのことを彼人も覚えていた。

それを人質に、いや物質に使うことだけはしたくなかった。

なんて浅ましいんだろう。この期に及んでいい人に見られたかったと言うのか。

 

しかし私の気持ちは変われるはずもない。

彼人は、一般的善悪の天秤にかけるのであれば悪に傾くかも知れない。

しかしその一般論をも凌駕するほどに魅力的な人だった。

というよりも私は善悪で人を好きになったりしないし、善悪と好きな気持ちは完全に別な場所にあった。

とても好きなところが多かった。とても好きな人だった。

 

しかし私は彼人を憎んでいる。

最後まで惹かれてしまうようなところをだ。

 

朝、手始めに或マグカップを力強く床に叩きつけた。

思ったより頑丈で、割れなくて笑ってしまった。

そして私の心は、以前恋人に別れを告げた時以来の大泣きを演じた。

涙は流れなかった。

 

滑稽の極みだが、もしかしたら、一連の発言は私の心を自分から離すための思いやりかも、とか思ってしまうくらいには未練タラタラだ。

きちんと別れを告げることなど絶望的で、もう会えることなんてないのに、この期に及んで少しでも愛されていたことを知って終わりたかったなんて思ってしまうのはどう言った感情なのだろう。

 

私は、好きな人の好きなものを好きになるという無益なタスクから解放された。好きになれたものは残らず私の糧となり、私になった。負担が減って心が軽くなった。しかし、増えた空き容量を持て余し、切ない。

驚くべきことに、それだけで体重が4キロ近く落ちていた。手軽なダイエットじゃあないか。

 

今、届かなくなった恋文を書く手を止めず、なんと浅ましいことに私は(とても恐縮ですが)ありがたいことに私のことを好きだと言ってくれる人に甘えている。

申し訳ないことだとは思うが、私は悪びれるつもりはないらしい。

いつの間にか、私の辞書の「道徳」の文字は黒く塗りつぶされていた。

 

にしても読者諸君には、あんなに心の弱い私が自分の大失恋をこうも面白おかしく記している裏の涙ぐましい苦悩を読み取ってほしい。

 

私の中で突然に、キラキラと目に痛いクリスマスが終わり、もうすぐ春が訪れようとしている。

花瓶にはもうスカビオサなんて挿さっていない。次はどんな花を飾ろうか。

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あ、こんなところにいい曲が!!!


www.youtube.com

 

「今までありがとう。ばいばい!」

誰かの胸

今日はお医者さんの日。

 

なんだかんだ最近は悩みを話すようになってきた。

 

お医者の先生は、信用と信頼の違いを説いてきた。

 

信頼している人間に裏切られてもショックは受けるはずがないらしい。

 

信頼とは、一度の裏切りによって瓦解するものではなく、

 

何をされても許してあげられる関係らしい。

 

「私は、家族には恵まれていますが、もし理不尽に見捨てられたりしたら傷つきますよ。」

と言ったら、

 

それは家族も信頼していないということ、と返ってきた。

 

裏切られて傷つかない人なんているのか?

と考えてみる。

 

どうやら私には信頼している人はいないらしい。

 

誰かに裏切られるたび傷ついてきた私は、信頼できる人に出会ったことがない。

 

 

「こんな自分を拾ってくれた職場に恩を感じそうになったんですが、いずれそれが自分の首を絞めるものになってしまう予感がして、打ち消してしまうんです。」

と相談すると、それは真っ当な考えだと肯定された。

 

私は恩知らずにならなければならないらしい。

 

どんどん冷たくなっていく気がする。

それがまともな人間のうまい生き方だって言うのかな?

 

信じる力が強いほど裏切られた時のショックって大きいものだと思うけど。

だからこそ人を信じることにうんざりしてしまっているのだけど。

 

それを伝えた。

 

いつか信頼できる人に出会えるんだとさ。

でもとても難しいことらしい。

 

昨日、山田詠美の「トラッシュ」をようやく読み終えた。長い上に重過ぎて途中で別のライトなエイミーを三作挟んだのだけど。終盤に、こんな一節があった。いや、こんなニュアンスの話があった。

 

自分のための涙を流せる他人の胸が人には必要なんだと。

 

それがなければいわゆる悪い人生の方向に向かってゆくんだと。

 

まだ子供であるジェシーにはそれがなくなってしまった。

 

でも、それはいずれ、自分で見つけていく必要がある。

 

自分で手に入れるからこそ、涙を見せられる相手ができるものなんだと。

 

私にはそれはいないなあ、って深く刺さった。

 

最近の悩みは何があっても涙を流せないこと。

 

それは心の内を預けられる相手がいないからなのかもしれない。

 

先生曰く、トライアンドエラーだ。信用して、裏切られて傷ついての繰り返し。

その先にあるもんなんだってさ。

 

そんなのって修羅すぎる。もうええわ。

 

疲れたよ、パトラッs…

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